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大 阪 人 は 味 覚 障 害 4 w

1 :もぐもぐ名無しさん:2006/12/24(日) 19:20:15
懲りない大阪人に我々日本人が正義の鉄槌を下すスレです!


  大 阪 人 は 味 覚 障 害 3 w
http://food6.2ch.net/test/read.cgi/food/1165410052/
大 阪 人 は 味 覚 障 害 2ww
http://food6.2ch.net/test/read.cgi/food/1163503955/
大  阪  人  は  味  覚  障  害
http://food6.2ch.net/test/read.cgi/food/1156689001/-100



2 :もぐもぐ名無しさん:2006/12/24(日) 19:27:47
クリスマスイヴくらい大人しくしとけよww
暇なんやろうけどw

3 :もぐもぐ名無しさん:2006/12/24(日) 19:37:23
>>1 乙。

4 :もぐもぐ名無しさん:2006/12/24(日) 23:35:53
ttp://www.yakiniquest.com/000322.php
ttp://www.yakiniquest.com/000328.php


東京人も舌を巻く大阪の焼肉

5 :もぐもぐ名無しさん:2006/12/25(月) 01:26:57
ハゲ

6 :もぐもぐ名無しさん:2006/12/25(月) 08:55:43
いつまで、この糞スレやる気なんや。


7 :もぐもぐ名無しさん:2006/12/25(月) 14:16:24
>>4
東京様に褒めて貰えてよかったねえ・・・!

8 :もぐもぐ名無しさん:2006/12/25(月) 18:32:45
>>1
1+1=2をわざわざスレ立てて主張してるようなもんだぞ。

9 :もぐもぐ名無しさん:2006/12/25(月) 18:34:44
http://ohisama5.hp.infoseek.co.jp/teasobi/17oosaka.mp3

大阪名物の歌(悲しみと哀愁が漂っている)



10 :もぐもぐ名無しさん:2006/12/25(月) 18:36:48
関西のうどんは90gか95gの小麦粉に対して5gから10g入れるから
つゆが薄くても結果的に関東と全く同じになる。
http://allabout.co.jp/gourmet/udon/closeup/CU20020902matu/
なぜかつゆが黒い大阪きつねうどん発祥の店
http://www.iokikai.or.jp/r.teutiudon.htm
関西のうどんは塩辛い
2麺の作り方
 @食塩水濃度と量(これが大切。必ず計量して下さい。)
季節 中力粉g 食塩濃度% 食塩水g
冬  100      6     46〜50
春秋 100      8     44〜48
夏   100     10    42〜46

塩辛い関西のうどんのポイント

@関西には手打ちうどんがほとんどなく、あるとすれば讃岐になる
A大阪うどんで有名な店をさがすと讃岐に行き着く
Bつゆ以外の特徴が無い
Cつゆも何故か江戸後期に使われ始めたかつお出汁がベースで江戸の文化に強い影響を受けている(きつねうどん)
Dかつお節は江戸時代前期までは全国的に食用で、特に関西地域には出汁を取る習慣が無い。
E関西のかつお節はあら節が支流で、花鰹などの習慣が無かった
F江戸時代には土佐からかつお節を仕入れていたのが関東地方に限られていた


11 :もぐもぐ名無しさん:2006/12/25(月) 18:37:34
http://www.ninben.co.jp/004katuo/10rekishi/index.html
4.土佐余市

江戸の後期に、紀州印南浦の住人で、土佐与市という鰹節職人が、安房(1781)・伊豆(1801
)の両国に改良土佐節を紹介しました。これを熱心に取り入れた伊豆では、土佐節の製法を
見習った上で、カビ付けの回数を2〜3回以上行い、脂肪や水分を節の中から吸い出す製法
をあみだしました。「伊豆節」の誕生です。その後、土佐節とならび、伊豆節は全国的に高い
評価を受けることとなりました。

「焼津節」は、直接与市から技法を授かっていませんが、その起源は伊豆の改良節ですので
、与市によって伝えられたといえます。 その後、改良節は全国に広められていくことになりま
す。 後年、与市は望郷の念禁じがたく、故郷の紀州印南に立ち返りましたが、秘法を他国へ
漏らした罪により、追い返されてしまいます。房州千倉に引き返し、親交のあった渡辺家に身
を寄せました。文化12年3月23日、ちょっとした風邪が原因で、58才で他界しました。

5.本枯節
江戸時代に由緒ある製品として知られたのは、熊野節・土佐節・薩摩節です。明治時代に入
ると伊豆節が目覚しい発展を遂げ、土佐節・薩摩節・伊豆節が三大名産品と称されるように
なりました。

明治30年頃、土佐節と伊豆節の長所を取り入れ、徹底した焙乾・3〜6回のカビ付けを行った
「本枯節」である焼津節が登場し、以後鰹節業界の本流となり、現在に至っています。

つまり現代のかつお節ができたのは、江戸時代初期〜後期にかけてという事になり、それ以
前のかつお節は、干物(完全に干からびた)の煮出し汁でカビ付けなどされていない物
関西地域では、多少生に近いかつお節を「花かつお」にする習慣が江戸時代後期にされたと
言われている。
それまでは、全国的にかつお節は佃煮のような食品である。


12 :もぐもぐ名無しさん:2006/12/25(月) 18:38:09
1.鰹節以前
大和朝廷草創(4〜5世紀)以前に、古代人は「干しカツオ」と「堅魚煎汁<カツオノイロリ>」を
創案しています。 干しカツオは、カツオを素干にしたもの(堅魚)と、煮てから干したもの(煮
堅魚)です。煎汁は、煮堅魚の煮汁を煮詰めて作ったもので、調味料として使われてきまし
た。

日本列島沿岸で豊富に漁獲されるカツオは、タンパク源として重要な位置にあり、大和朝廷
は国々にカツオ浦を定めて、干しカツオと煎汁の献納を強制しました。特に煎汁は、大陸伝
来の調味料(未醤<ミソ>・醤<ヒシオ>・酢等の発酵性調味料)と肩を並べる純国産調味
料として、飛鳥・奈良・平安時代を経て、鎌倉・室町時代まで重用されました。

その後、室町時代になって農業の進歩により、大豆の生産が増加すると、大豆性調味料の
使用量が増え、その分煎汁の使用量が減り、消滅していきました。しかし、カツオの調味料の
味は、人々の脳裏から消え去らず、干しカツオから焙乾法の出現により生まれた鰹節に引き
継がれることになり、日本人の調味料として不動の地位を確立していきます。



13 :もぐもぐ名無しさん:2006/12/25(月) 18:39:42
2.鰹節の誕生
室町時代に入り、干しカツオに「焙乾」という技術が導入され、「鰹節」ができました。江戸時代
に入る前から焙乾小屋は、五島・平戸・紀伊・志摩・土佐各国のカツオ浦に建てられました。
当初の焙乾設備は台所兼用のもので、囲炉裏の上にしつらえた平籠に卸したカツオを入れ
ておくと、煮炊きをする熱と煙により自然と焙乾されるものでした。 江戸時代初頭には、北九
州方面で作られた鰹節は、ポルトガル船・イギリス船などにより、平戸から琉球を経て、明国
・シャム国などに輸出されました。

その後、鰹節が広く世間で名声を得たのは、紀州で焙乾小屋が改良され、鰹節が進歩を始
めてからです。堺港の大商人や、京の都の上流家庭で、煮物・汁物料理が盛んになり、従来
の調味料だけでは物足りなくなり、旨味を付加するために鰹節がだしとして用いられるように
なりました。

江戸時代初期は、この紀州で作られた鰹節が「熊野節」の名で一世を風靡しました。ちょうど
この時期にたくさんの料理書が発刊され、その中で調味料として鰹節だしについて触れぬも
のはないほど必需品として取り上げられています。鰹節の力により、日本料理が形成された
といっても過言ではありません。

紀州のかつお節のルーツは佃煮

かつお出汁ができたのは江戸時代である
それまでは、かつお節はお湯でもどしてそのまま食べる魚料理

さば節もほぼ同じルーツ。

特にかつお出汁を取り上げた理由は、大阪うどん「きつねうどん発祥の地」のつゆがかつお
出汁と昆布と言う単純な事から書くことにした。
現代のかつお節が完成したのは明治30年
しかし、花かつおなどやあら節ができあがっただろうと言われているのが江戸時代前半なの
で非常に古い文化と思っているほうが間違え。


14 :もぐもぐ名無しさん:2006/12/25(月) 18:40:23
京都料理などが、非常に古くから日本の基盤にあったような妄想を書き込む関西人達。
 実際にはかつお節すら無く。それ以外の料理があったと言う事実も無い。

 江戸時代前半に現代のかつお節に類似した商品ができあがってから料理の献立の文献が
非常に多く書かれていることから、江戸時代より前の食文化はほぼ無いに等しい。(現代の
料理店で食べられている食事の事)

>江戸時代初期は、この紀州で作られた鰹節が「熊野節」の名で一世を風靡しました。ちょうど
>この時期にたくさんの料理書が発刊され、その中で調味料として鰹節だしについて触れぬも
>のはないほど必需品として取り上げられています。

>江戸時代初期は、この紀州で作られた鰹節が「熊野節」の名で一世を風靡しました

熊野節があら節や花かつおになったので、それより昔には懐石料理の原型は無いに等しい

>江戸時代初期は、この紀州で作られた鰹節が「熊野節」の名で一世を風靡しました。ちょうど
>この時期にたくさんの料理書が発刊され、その中で調味料として鰹節だしについて触れぬも
>のはないほど必需品として取り上げられています。

 滑稽な事に、大阪人の誇りである。「食文化」が捏造だとわかった。
 昆布出汁だけで作ると言い張る大阪人。
 精進料理でもせいぜい作って伝統の食文化とでも言ってみなさい。(笑)
 精進料理はほぼバチモン料理で、オリジナルの精進料理が非常に少ない。

 どれだけかつお節の世話になっているのか考えた事はあるのだろうか?


15 :もぐもぐ名無しさん:2006/12/25(月) 18:40:56
京都料理などが、非常に古くから日本の基盤にあったような妄想を書き込む関西人達。
 実際にはかつお節すら無く。それ以外の料理があったと言う事実も無い。

 江戸時代前半に現代のかつお節に類似した商品ができあがってから料理の献立の文献が
非常に多く書かれていることから、江戸時代より前の食文化はほぼ無いに等しい。(現代の
料理店で食べられている食事の事)

>江戸時代初期は、この紀州で作られた鰹節が「熊野節」の名で一世を風靡しました。ちょうど
>この時期にたくさんの料理書が発刊され、その中で調味料として鰹節だしについて触れぬも
>のはないほど必需品として取り上げられています。

>江戸時代初期は、この紀州で作られた鰹節が「熊野節」の名で一世を風靡しました

熊野節があら節や花かつおになったので、それより昔には懐石料理の原型は無いに等しい

>江戸時代初期は、この紀州で作られた鰹節が「熊野節」の名で一世を風靡しました。ちょうど
>この時期にたくさんの料理書が発刊され、その中で調味料として鰹節だしについて触れぬも
>のはないほど必需品として取り上げられています。

 滑稽な事に、大阪人の誇りである。「食文化」が捏造だとわかった。
 昆布出汁だけで作ると言い張る大阪人。
 精進料理でもせいぜい作って伝統の食文化とでも言ってみなさい。(笑)
 精進料理はほぼバチモン料理で、オリジナルの精進料理が非常に少ない。

 どれだけかつお節の世話になっているのか考えた事はあるのだろうか?


16 :もぐもぐ名無しさん:2006/12/25(月) 18:41:57
http://www.ogurayayamamoto.co.jp/study/his.html

太平な世が続き、生活も贅沢になり、江戸文化の特質である「粋」と「通」が料理にも及び始
めました。
昆布はその代表的な茶会における「懐石」にも登場しており、宴席に欠かせないものであった
ようです。
江戸の食べ物商は6160余軒にものぼり、「こぶやあげこぶ」と声をかけて揚げ昆布を売る物
売りも市中を流して歩きました。
また、西回り航路の開発によって昆布は「天下の台所」大坂に送られるようになり、元禄の頃
には、とろろ昆布など加工昆布が盛んに製造され、それらを商う「あきんど」が活躍するように
なりました。
加工法の発達により、昆布は広く人々に愛され、その日常に浸透していきました。

大阪人の「昆布」の話も実は捏造であって、実際に庶民が昆布を食べるようになったのも江
戸時代頃からとされている。これは北海道から運ぶと言う点だけでも分かるとおり、非常に難
解な航海を昔から容易にできていたとは考えにくい事からも想像がつく。(上に記されている
とおり陸路では運ばれていない。)

江戸時代より前の文章にも書かれているとおり、昆布は出汁ではなく、食べ物であってアワ
ビと同等に珍重されていた。

大昔から昆布が食べられていたのは正しいが、現代と同じ食べ方になったのは江戸時代に
入ってからの事でこの事も大阪人によって捏造されている。



17 :もぐもぐ名無しさん:2006/12/25(月) 18:43:44
 江戸時代より前まではかつお節や昆布は佃煮のように食べる食品だった。
 つまり関西地方、特に京都や大阪でかつお節や昆布を出汁にして料理を作っていたと言う歴史的証拠が
全く無い。

 生の魚を刺身で食べたり寿司で食べたりすることも築地市場に冷凍倉庫ができあがった70年前あたりか
らの事で、実際に刺身で食べられるほどの鮮度の保てる冷蔵庫ができたのが40年程度前のこと。

 砂糖は江戸幕府の支配していた食品で、白砂糖は特に武士や一部の僧侶くらいしか食べる事ができな
かった。庶民は非常に高額な黒砂糖しか使えなかったので、砂糖を使う食品文化は、すべて武士や僧侶
以上の地位についていた人々の料理だったと言える。

 江戸幕府が衰退して2回の世界大戦を経験し、裕福な生活を送れるようになった現代では、以上の食材が
容易に手に入る事から、昔の貴族社会や武家社会が非常に贅沢な食べ物を毎日食べていたかのごとく語
られているが、庶民の食文化の歴史は実際には、ここ30年程度の歴史の話であり、それより昔の食生活が
ひどいものだった事は言うまでも無い。

 当然、お金回りの良い土地の方が豊かな生活が送れていた。だから、地方で東京ほどすぐれた食生活が
おくれていた可能性は極めて低い。
 戦時中に疎開を強いられたときに、田舎者が食料を高額で売りつけたと言う話が良く聞かれる。
 田舎者には特有の差別意識が有り、大阪の同和地区に限った話ではない。


18 :もぐもぐ名無しさん:2006/12/25(月) 18:44:21
不味い水で出汁を取る大阪

琵琶湖の汚染はなにが原因か

 琵琶湖をのぞむ比良山系は、関西の登山では一番人気の武奈ガ岳(1214m)などが連らなる。この山地
が降った雨を涵養し琵琶湖へ流す。森は水を浄化し、土砂の流出を防ぎ二酸化炭素を吸収する。京都精華
大学の山田国広氏は『水と暮らしの環境文化』(昭和堂出版)の中で、「下流の都市住民は、上流の森林に
降った水を飲んでいることをほとんど意識していない。上流の森林が健全に育成されているからこそ、下流
は安心して水が飲める」と書いている。本書中では同氏は下流の住民は森林の機能を評価して、例えば水
源税や森林税や環境税というかたちで恩恵の還元をなすことを提唱している。

 水質検査の結果琵琶湖の水がかなり汚染されていることがわかった時、私はいささか落胆した。水道の蛇
口をひねれば水が出る、レバーを押せば尿が視界から消える。日常のあたりまえとなった動作に、「水の流
れ」を考えることもなくなっていたことを恥ずかしいと思った。

 農家に生まれ子供の頃から湧き水で育った。飲み水の大切さを生活の中で教えられていた。川を誰もが大
切に守っていたのである、そうした思いを新たにした水質検査であった。

http://www.bund.org/culture/20060515-1.htm


東京と大阪の水の硬度を示した場合。ほぼ同じ硬度になっている。
世界的な水準で考えると日本の水はほぼ軟水と言う事が図からわかります。
大阪人は東京の水が硬水で出汁を取るのに向かないと言い張ってますが、実際には同じです。

http://www.con-pro.net/readings/water/doc0017.html



19 :もぐもぐ名無しさん:2006/12/25(月) 18:46:46
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/special/shiokaze/shiokaze_index.html
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/special/shiokaze/kita01.html
近江商人が開拓した北海交易に雇われた北陸の船乗りが力をつけて独立、北前船交易が隆盛をきわめ、西回りで大阪まで昆布が持ち込まれるのは、江戸時代になってからだ。
この頃、白口浜の昆布が京、大阪へ届く。透明な出汁で京料理に欠かせない利尻昆布はさらに遅れる。

http://www.kyoto-np.co.jp/kp/special/shiokaze/kita02.html
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/special/shiokaze/kita03.html
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/special/shiokaze/kita04.html
かつお節
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/special/shiokaze/kare01.html
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/special/shiokaze/kare02.html
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/special/shiokaze/kare03.html

京料理で重要なかつお節が出来上がったのは明治30年


20 :もぐもぐ名無しさん:2006/12/25(月) 18:48:54
http://www.nisshin.com/life/komugiko_club/map/kinki.html
たこ焼きの話

写真提供:大阪観光コンベンション協会
気軽に食べられる庶民の味方。おやつによし、ビールのお供にまたよしの“コナモン”の王道
と言えば、やはり「たこ焼き」。このたこ焼きが大阪に登場したのは意外に新しく、明治時代に
東京で生まれた「もんじゃ焼き」の、水分を少なくした「どんどん焼き」が関西に入ってきたの
が、そのルーツと言われています。やがて大正以降、まるいくぼみのある鉄板で一口サイズ
に焼き上げられた「ちょぼ焼き」や、その後には「ラジオ焼き」と呼ばれるおやつが大阪で生ま
れました。「ラジオ」の名が冠されたのは、ラジオが当時の最先端だったこととか、ラジオのツ
マミに似ていたからなどという説があります。いずれにせよ、この時点ではまだ中にタコは入
っておらず、具はこんにゃくやスジ肉だったそう。タコが入れられるようになったのは、昭和10
年頃、明石焼きにヒントを得てからのことと言います。
タコに天かす、紅ショウガ。大阪風のだしをしっかり効かせた生地を手際よく、表面カリカリ、
中身はとろ〜り焼き上げる。甘いソースをべったりぬって、あとは青のり、鰹節。食い倒れの
街、大阪だからこそ生まれた庶民の味には、小さな感動さえわきおこってきます。大阪では
半数以上の家庭にたこ焼き器があるそうですが、最近はどこでもたこ焼き用の鉄板が手に
入りやすくなったようなので、ぜひご家庭で試してみてはいかがでしょうか。なかなか奥の深
いたこ焼きの世界に、きっとあなたもハマるかも?

>このたこ焼きが大阪に登場したのは意外に新しく、明治時代に東京で生まれた「もんじゃ焼き」の、水分>を少なくした「どんどん焼き」が関西に入ってきたのが、そのルーツと言われています。

21 :もぐもぐ名無しさん:2006/12/25(月) 18:49:26
きつねうどんの話

「きつねうどん」は明治時代、大阪に開業したうどん屋さんが「いなり寿司」を参考にして考案
したと言われています。しょう油とみりんで煮含めて、ふっくらやわらかく仕上げた大きな油揚
げがうどんにのっかります。讃岐うどんなどに比べるとやわらかめの麺、甘辛い油揚げ、そし
て関西ならではのつゆが絶妙な取り合わせ。特に、鰹節や鯖節、昆布などのだしが利いたつ
ゆは、最後まで飲み干したくなる味です。うまい、安い、早い──その合理的なところがいか
にも大阪らしく、大阪を訪れたらとりあえず一杯、という方も少なくないでしょう。
ところで大阪で「きつね」と言えば、それは「きつねうどん」のこと。関東で言う「きつねそば」(
油揚げ入りのそば)は、大阪では「たぬき」と呼ぶことが多いようです。揚げ玉(天かす)が入
る関東の「たぬきうどん」は、大阪では「ハイカラうどん」と言うことがありますが、そもそも天
かすは無料サービスのお店が多いので、「すうどん(かけうどん)」ということで事足ります。
一方、京都で「たぬき」と言うと、刻んだ油揚げ入りのあんかけうどんを指すことが多く、刻ん
だ油揚げが入ったうどんは、大阪では「きざみうどん」‥‥なかなかややこしい話です。

「きつねうどん」は明治時代、大阪に開業したうどん屋さんが「いなり寿司」を参考にして考案
したと言われています。

これが伝統的な食べ物なんでしょうか???たかだか明治時代に作られただけなのに



22 :もぐもぐ名無しさん:2006/12/25(月) 18:50:27
明石焼きはたこ焼きのルーツではない

たこ焼きのようで、たこ焼きにあらず。「たこ焼き」と「明石焼き」が大きく異なるのは、地元で
は「玉子焼き」と言われていることからもわかるとおり、ゆるめの生地には卵がふんだんに入
ること。それと、ソースではなく、カツオや昆布のだし汁につけて食べること。この違いだけで
も、明石焼きには、たこ焼きとはまるで異なる味わいがあるものです。
丸く焼いても皿にとると平べったくなってしまうほど、明石焼きはふわふわとやわらかく、箸で
つまむのも難しいくらいですが、その秘密は卵だけでなく、小麦粉のほかに混ぜられる「じん
粉(こ)」にあります。じん粉は、小麦粉からグルテンを分離させた「でんぷん」のことで、ふつ
うは「浮き粉」と呼ばれます。ふわふわの明石焼きには、このじん粉が欠かせません。また、
たこ焼きは通常、鉄板で焼かれるのに対し、明石焼きは薄い銅製の専用型で焼くお店がほと
んどです。
明石焼きの起源についてですが、今からおよそ160年前の天保年間、明石に「明石珠(玉)」
という工芸品がありました。これは卵白を使用した珊瑚の代用品で、かんざしなどに使われ
ました。卵の白身を使うので、黄身のほうが余ってしまいます。そこで卵黄と、明石でよく採れ
たタコを使って「玉子焼き」が生まれたという説があります。明石焼きが大阪のたこ焼きの元
になったというのは、「たこ焼き」の項で触れたとおりです。


23 :もぐもぐ名無しさん:2006/12/25(月) 18:51:12
そばめしの話

細かく刻んだ焼きそば。よくよく見るとその中には、なんとごはんが混ざっているではありませ
んか。この「そばめし」なる食べ物に遭遇し、初めはびっくりした方も多いのではないでしょう
か。おそるおそる口に運んでみると、意外なマッチングに、またびっくり!
そばめしの歴史は意外と古く、その発祥は昭和30年代頃の神戸市長田区と言われます。“
靴の街”として知られる長田区には工場が多く、そこで働く工員がお好み焼き屋で焼きそばを
注文、持参していた弁当のごはんといっしょに炒めてもらったのが始まりと言われています。
これが裏メニューとしてじわじわと浸透していったようです。神戸を中心にいくつかのお店でメ
ニューとして定着してからも全国的に知られることはありませんでした。しかし1995年、阪神
淡路大震災の復興のニュースで、そばめしが紹介されたのをきっかけに、徐々に知られるよ
うになっていきます。2000年頃、冷凍食品が登場してからは、完全に全国区になったと言っ
ていいでしょう。
肉や野菜、切ったそばを炒め、そこにごはんを加え、ソース味で仕上げます。どろっとしたピ
リ辛のソースを使うのが神戸流。半熟に炒めた卵をのっける「オムそばめし」も人気です。

 大阪名物が一つも無い事がおわかりになった事でしょう。

たこ焼きのルーツがもんじゃ焼きだって事が証明されましたね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E3%82%93%E3%81%98%E3%82%83%E7%84%BC%E3%81%8D
1819年刊『北斎漫画』に、「文字焼き屋」の挿絵があり、この時代既に江戸にもんじゃ焼きに類するものがあったことが分かっている。

歴史的にも非常に古いもんじゃ焼き


24 :もぐもぐ名無しさん:2006/12/25(月) 18:53:48
///駄菓子/// 

駄菓子とは菓子の中の駄物という意味では、安価で質も高級品ではない干菓子をさしていま
すが、もともとは江戸時代の「雑菓子」からきています。精製された白砂糖が貴重品であった
ために、幕府は庶民の菓子に白砂糖の使用を禁止し、庶民が口にする菓子の甘味料には黒
砂糖が用いられました。これを雑菓子と呼び、大名や武士だけが食する上菓子と区別したの
です。その後、白砂糖の生産力が高まり、明治以降は上菓子と雑菓子の区別はなくなりまし
たが、雑菓子のルーツを受け継ぐ安い菓子の総称として「駄菓子」という名が使われるように
なりました。大正末期から昭和初期にかけては町の駄菓子屋に加えてべっこう飴やゲンコツ
飴、蒸し羊羹などを売り歩く行商人もいました。戦後になって砂糖の配給制が無くなる頃には
駄菓子屋も復興し、チューインガム、チョコレート、ラムネ、コーラといった西洋の菓子も店頭
に並ぶようになりました。
子供用の駄菓子とは違う「郷土駄菓子」という菓子もあります。有名な地域は仙台・会津・飛
騨などが挙げられます。その土地ならではの作物を主原料にシンプルな調味料だけで作ら
れます。有平糖、かりんとう、せんべい、ようかんなど同じ菓子でも地域によって味は変わり
、地方名菓として和菓子屋などで販売されています。


和菓子が江戸で文化が栄えなかったわけは、庶民の白砂糖の使用を幕府が禁止していた
事があげられる。
大名や武士だけが食する上菓子と区別したのです。
東京にある和菓子が駄物(だもの)が多い理由は幕府による規制が強すぎて、和菓子屋が
衰退しまった為です。


25 :もぐもぐ名無しさん:2006/12/25(月) 18:56:37
http://www.arakawa-unet.jp/issue/0604/index.html
もんじゃ焼きは荒川が発祥

大正育ちの叔母の記憶によると、当時から三河島の駄菓子屋ではもんじゃ焼きがあったそう
です。もんじゃ焼きは「駄物(だもの)」といって、駄菓子屋で出す子ども向けのお菓子のひと
つでした。紙が高級品だった時代なので鉄板にメリケン粉を薄く延ばし、子どもたちに字を教
えていたと聞きます。「文字焼き」が、もんじゃ焼きの語源というのも、あながち嘘ではないの
かもしれません。店の隅に練炭やタドンを置き、その上に鉄板を敷いてもんじゃを商っていた
のでしょう。
「あんこ焼き」は和菓子そのもの、出来立てのアツアツが美味しい。
 子どもたちは、もんじゃ焼きの中にあんこ玉を挟んだりソースせんべいに絡ませたりと、駄
菓子屋にある他のお菓子と組み合わせては、おいしく食べる工夫をしたようです。それが、も
んじゃ焼きのバラエティの多さに発展していったのでしょう。
 駄菓子屋(もんじゃが食べられる所)の多さを考えると、戦後は日暮里に駄菓子問屋街もあ
りましたから、もんじゃ焼きの始まりはやはり荒川区か台東区でしょうね。

こんな事が「どら焼き」などのルーツであって、きらびやかで雅な世界とはかけ離れている。
どこでも生まれる文化ではなく、下町の人々の甘いものに対する思いが今の形のたい焼き、
今川焼き、どら焼きといった文化を形成してきたのである。



26 :もぐもぐ名無しさん:2006/12/25(月) 18:58:04
大阪人:ワシらは地元の料理を大切にしてる
東京人:そうですか、それなら吉兆の事も良くご存知でしょうね
大阪人:素材の味がして薄口や
東京人:それじゃ意味がわかりません
大阪人:大阪は焼肉がうまいで
東京人:焼肉は韓国料理ですよ。地元の食べ物じゃないですよね
大阪人:頭狂人はフランス料理を自慢するやないか
東京人:フランス料理を真っ向から否定し続けて韓国料理は否定しないんですか?
大阪人:、、、、、、、、、
大阪人:カッペ、カッペ
東京人:まともな会話になりません


27 :もぐもぐ名無しさん:2006/12/25(月) 18:58:48
「江戸食」が日本古来の和食の原点
http://www.athome.co.jp/academy/culture/cul17.html
江戸食文化紀行
http://www.kabuki-za.com/syoku/bkindex.html


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